生きる=仕事をする。この方程式は多くの日本人に当てはまるだろう。
自分もその例外ではなく、生きるために毎日仕事をしている。
大学生の頃、演劇とアルバイトに明け暮れたお陰で一般的な仕事への憧れというものがなく、大学の友人たちと同じように就職活動をするということが困難だった。
慣れないスーツに身を包み、思ってもいない志望動機を語るのは、どんな芝居よりも難しかったのだ。
なんだかんだと言っているうちに大学4年も終盤。
一応内定をもらっていた私は、10月の内定式に出てからというもの、胸につっかえる違和感のようなものを感じ続けていた。
このままやりたくもないコールセンターの仕事を始めるのか?それで後悔はしないのか?
悩んだ末、採用担当者に連絡をし、採用の取り消しを申し出た。
一度説得はされたが、「ご自身の人生だから後悔のないように」と最後は了承をしてもらえた。
唯一の肉親の母親の理解があったことも幸いだった。
大人になりきれない私は、もうしばらく演劇の世界に浸っていたかったのだ。
とは言っても無職のままではいられない。
学生の間に勤めていたアルバイト先は辞めていたので、大学卒業と同時に新たなアルバイトを始めた。
小学生や中学生を相手にする学習塾での事務兼、講師のアルバイトである。
正直、私は子供は得意ではない。かなり苦手だった。
そんな私が当面の生活費として塾講師を選択したのは不思議な因果だった。
先輩や上司たちに支えられながら2年ほど勤務をこなした。
その間も芝居の稽古や公演の度に休ませてもらいながらの勤務は申し訳なくもあったが、優先度は演劇の方が強かったのでそこはブレずにやっていた。
勤務3年目になった頃、年数というのは不思議なもので、信頼関係が自然と築き上がっているものだ。
任されるもの、頼られることが増え、私はいつの間にか職場が居心地の良い場所だと感じるようになっていた。
そうして4年、5年と経ち、私は学習塾を辞めた。
新しく営業職の正社員として働き始めた。
あれほど浸っていたかった演劇の世界から、最後はいともたやすく抜け出した。
社会の歯車になる心地よさを私は選んだのだ。
それからもうじき3年になる。
仕事は生きるためにするものだ。けして楽しいばかりではない。
だが、仕事が生きがいとなり、仕事をしている自分が自分を支えてくれているのも事実だ。少なくとも、私にとっては。
自由になりたいと思うこともあるが、まだしばらくは社会の歯車として回っていたい。
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